あれから9年
覚書として、
PC保管の画像も間違って消すかもしれないので書いておきます。
まず2011年3月9日に東京都北区のマンションから撮った画像

これは紛れもない「地震雲」で家に帰ってすぐ写真の雲の焦点となる位置の延長線を調べると
福島県から宮城県方面の海岸側。
凄い胸騒ぎを覚えた。
そして3月11日、川越の南古谷駅近くに友人たちと集まって、
川越のあちこちに行くために一人の人の車に乗り合わせた。
運転席と助手席は自分の娘と同じぐらいの年齢の男性
私は後部座席の左側、右には私より若い女性が乗った
私と女性は難聴者、若い男性は手話の上手な健聴者
川越冨士見の元有料道路の陸橋の下を進むために信号待ちしていた時に
突き上げるようなドンという揺れが始まった、
車が波にのまれる船のように動いた、街頭はメトロノームのように揺れる
私は固まる前の飴細工のように見えた。
目の前の陸橋はねじれるようにくねくね曲がる(怖い)
直ぐに車のラジオを付けた。
通訳してくれた男性は間違って「宮崎県」と手話で表した
「え、宮崎って九州でしょう、それがここでこんなに揺れるって。。」と言ったら
「間違えました、宮城県です」と修正した。
宮城でも凄く離れている、それがこんなに揺れるって、普通の地震じゃない!
揺れが落ち着いて、先に進んだ、道路の左右でまるで光景が違う
片方の商店街は明かりが点いているのに反対側は真っ暗
行く先々の信号がついていない、みんな慎重に譲り合いながら進んでいた。
誰も我先にとならないのは安心できた、
途中で白バイが駆けつけて、交通整理を始めた。
ある聾者を訪ねた、「今から福島県に行くところだったが、地震でびっくりしてテレビを付けたが字幕も手話通訳もない」
「福島原発が爆発と書いてあった」と必死に手話で言っていた。
「でもこれから駅に行く」という
私「今日は行けないですよ」
相手「どうして」
私「電車止まっています」
相手「待っていたら動くでしょう」
私「これだけ大きな地震なので、点検をすべての線路でする必要があるので、今日中には終わらないはずです、だから無理です」
相手「困った、両親のところに行く必要があった」
私「両親に連絡着いた?たぶんまだ無理ですね、連絡着いてから相談すると良い」と説明した。
もしその時に私が行かなかったら、その人は駅に行ってずっと待っていてでしょう。
その人には手話か筆談しか伝える方法が無い、このパニック状態では厳しい
そして我が家に帰る時、心配なので夫の車の置いてある仕事先に寄ってみたが確かめるすべもなくその前を通り過ぎたら
凄い偶然、夫の通勤用の乗用車が私の車の後ろについた。
良かった無事だった、そのままそこから50分ぐらいかけて自宅に向かう、
途中で私はスーパーによることにした、たぶん停電になっている、懐中電灯の電池があるか記憶が不確かなので買おうと、さらにろうそくや、食料品をと
地震発生から4時間ぐらい経っていた、スーパーには電池もろうそくも売り切れ、食料もカップ麺などは棚が空になっていた。
水もなかった。
自宅に帰ったら先に帰った夫の説明、オーブンレンジの上にあった鉄板が向かいのシンクと床に落ちていたという
リビングのドアが開かないので別のドアから入ってみたら、
キャスター付きのキャビネットが開かないドアの前に移動していてドアを防いでいたそうだ。
他は洗面化粧台の脇にタワー状の化粧品のキャビネットがあるがそれの扉が全開になって
化粧品が洗面器の部分に大量に落ちていたという。
それ以外の被害は無かった、ミシン類も大丈夫だった。
それから数か月後に気が付いたのがカップボードのいつもは見ていなかった壁際の方の扉
何気なく見て、背筋が凍った。

このアクロバット的になっているカップ類を割らずに扉を開ける方法は
エクスパックの封筒、これを扉を少し開けて隙間から差し込み
カップ類がエクスパックで押さえられたのを確認してから扉を開けてひとつづつ取り出した、
全て無傷で数か月耐えていた。
下から二番目にあったお土産の ボンビージャ の容器とそのストローこれが支えになっていた。
その下には横に寝かせたワインが7本あったがそれも無傷。
食器棚やそれ以外の物が倒れなかった理由は、小さいが役に立つ家具の間に挟む転倒防止のプラスチック
突っ張り棒などは一切使っていなかった。
白や、茶色だった

これをすべてに挟み込んでいた。
幅は3~5cmと小さいがどれよりも優れていると思う。
画像探してたら売っているところ発見

https://wowma.jp/item/353249522
9年経って、まだまだ大変な状況で生活している人が多い、
家族も欠けたままだったり、戻れない人がいる。
そういう現実を忘れてはいけない。
そして、今コロナウィルスで世界中が大変になっている。
これが収束しても、後は平和になるわけではない、
もっといろいろ起きるだろう、
今回の騒動で、人の心が試されている、
大切な、人を思いやる心、愛、これを一番忘れてはいけない。
人はお互い助け合い励ましあった共存できる存在です、
人に愛を示す。大切な事です。
自分がしてほしいと思う事を人にもする。
自分だったらどうされたらうれしいか、今しようとしている事は逆に自分にされたらどう思うか
それを考えて行動しましょう。
PC保管の画像も間違って消すかもしれないので書いておきます。
まず2011年3月9日に東京都北区のマンションから撮った画像

これは紛れもない「地震雲」で家に帰ってすぐ写真の雲の焦点となる位置の延長線を調べると
福島県から宮城県方面の海岸側。
凄い胸騒ぎを覚えた。
そして3月11日、川越の南古谷駅近くに友人たちと集まって、
川越のあちこちに行くために一人の人の車に乗り合わせた。
運転席と助手席は自分の娘と同じぐらいの年齢の男性
私は後部座席の左側、右には私より若い女性が乗った
私と女性は難聴者、若い男性は手話の上手な健聴者
川越冨士見の元有料道路の陸橋の下を進むために信号待ちしていた時に
突き上げるようなドンという揺れが始まった、
車が波にのまれる船のように動いた、街頭はメトロノームのように揺れる
私は固まる前の飴細工のように見えた。
目の前の陸橋はねじれるようにくねくね曲がる(怖い)
直ぐに車のラジオを付けた。
通訳してくれた男性は間違って「宮崎県」と手話で表した
「え、宮崎って九州でしょう、それがここでこんなに揺れるって。。」と言ったら
「間違えました、宮城県です」と修正した。
宮城でも凄く離れている、それがこんなに揺れるって、普通の地震じゃない!
揺れが落ち着いて、先に進んだ、道路の左右でまるで光景が違う
片方の商店街は明かりが点いているのに反対側は真っ暗
行く先々の信号がついていない、みんな慎重に譲り合いながら進んでいた。
誰も我先にとならないのは安心できた、
途中で白バイが駆けつけて、交通整理を始めた。
ある聾者を訪ねた、「今から福島県に行くところだったが、地震でびっくりしてテレビを付けたが字幕も手話通訳もない」
「福島原発が爆発と書いてあった」と必死に手話で言っていた。
「でもこれから駅に行く」という
私「今日は行けないですよ」
相手「どうして」
私「電車止まっています」
相手「待っていたら動くでしょう」
私「これだけ大きな地震なので、点検をすべての線路でする必要があるので、今日中には終わらないはずです、だから無理です」
相手「困った、両親のところに行く必要があった」
私「両親に連絡着いた?たぶんまだ無理ですね、連絡着いてから相談すると良い」と説明した。
もしその時に私が行かなかったら、その人は駅に行ってずっと待っていてでしょう。
その人には手話か筆談しか伝える方法が無い、このパニック状態では厳しい
そして我が家に帰る時、心配なので夫の車の置いてある仕事先に寄ってみたが確かめるすべもなくその前を通り過ぎたら
凄い偶然、夫の通勤用の乗用車が私の車の後ろについた。
良かった無事だった、そのままそこから50分ぐらいかけて自宅に向かう、
途中で私はスーパーによることにした、たぶん停電になっている、懐中電灯の電池があるか記憶が不確かなので買おうと、さらにろうそくや、食料品をと
地震発生から4時間ぐらい経っていた、スーパーには電池もろうそくも売り切れ、食料もカップ麺などは棚が空になっていた。
水もなかった。
自宅に帰ったら先に帰った夫の説明、オーブンレンジの上にあった鉄板が向かいのシンクと床に落ちていたという
リビングのドアが開かないので別のドアから入ってみたら、
キャスター付きのキャビネットが開かないドアの前に移動していてドアを防いでいたそうだ。
他は洗面化粧台の脇にタワー状の化粧品のキャビネットがあるがそれの扉が全開になって
化粧品が洗面器の部分に大量に落ちていたという。
それ以外の被害は無かった、ミシン類も大丈夫だった。
それから数か月後に気が付いたのがカップボードのいつもは見ていなかった壁際の方の扉
何気なく見て、背筋が凍った。

このアクロバット的になっているカップ類を割らずに扉を開ける方法は
エクスパックの封筒、これを扉を少し開けて隙間から差し込み
カップ類がエクスパックで押さえられたのを確認してから扉を開けてひとつづつ取り出した、
全て無傷で数か月耐えていた。
下から二番目にあったお土産の ボンビージャ の容器とそのストローこれが支えになっていた。
その下には横に寝かせたワインが7本あったがそれも無傷。
食器棚やそれ以外の物が倒れなかった理由は、小さいが役に立つ家具の間に挟む転倒防止のプラスチック
突っ張り棒などは一切使っていなかった。
白や、茶色だった

これをすべてに挟み込んでいた。
幅は3~5cmと小さいがどれよりも優れていると思う。
画像探してたら売っているところ発見

https://wowma.jp/item/353249522
9年経って、まだまだ大変な状況で生活している人が多い、
家族も欠けたままだったり、戻れない人がいる。
そういう現実を忘れてはいけない。
そして、今コロナウィルスで世界中が大変になっている。
これが収束しても、後は平和になるわけではない、
もっといろいろ起きるだろう、
今回の騒動で、人の心が試されている、
大切な、人を思いやる心、愛、これを一番忘れてはいけない。
人はお互い助け合い励ましあった共存できる存在です、
人に愛を示す。大切な事です。
自分がしてほしいと思う事を人にもする。
自分だったらどうされたらうれしいか、今しようとしている事は逆に自分にされたらどう思うか
それを考えて行動しましょう。