父死す
26日10時26分に、弟のお嫁さんから
お父さんが亡くなりましたとメールが来た。
すぐに知らせてくれたらしい。
この連絡は出先でうけました、
午後の予定はキャセルを伝えて帰宅。
出先から夫の携帯にメールするが、たぶん見ていないだろうと電話もかけると「こちらはドコモです、おかけになった電話は・・・」
電源入っていない、自宅に帰ると直前で電源を切る夫だから、
仕事終わって帰っている可能性もあるので、自宅に電話するが不在、
繰り返し両方にかけたが通じず。
肝心な時にこれです、夫らしいと言うか、、
帰る途中にある銀行によってお金をおろす。
自宅までの途中の家の友人を送り届けて帰宅して、
それから夫の勤める会社に電話する、
社長かその息子が社長夫人である夫の姉に電話を代わってくれた、
聞こえないから一方的に用件を言う、
携帯の電源が入っていないから連絡方法は?そちらから連絡取って
父が亡くなったことを伝えてほしい事、
明日の仕事は入っているかどうか
その後会社からFAXが来た、連絡してくれたこと、早めに帰れること、
明日は仕事ないから安心してくださいと、
同時に夫から「わかりました」と短いメールが来た。
義姉あてにお礼のfaxを入れました。
この日の仕事はある会社の引っ越しだったそうで、その会社に電話で夫に伝えてくれたそうです。
この事で会社側が事情を知ったので、夫は香典を預かってきました。
礼服など必要なものをそろえて、夫のワイシャツ昨年から今年にかけて全部入れ替えたので、白の織模様も無い無地が無い、全部に織模様が入っているので
ワイシャツを買いに行った、お通夜の分と次の日の分2枚を
アレルギーとかいろいろ問題のある私、そして葬儀の家は忙しすぎて、食事もままならない経験があるから、昨日焼いた1,5斤のレーズンブレッドの他に皆が食べる足しになるようにと、2斤サイズのパンを焼き始める。
あわただしい中、昼食を食べ忘れている事に気がつき午後3時過ぎにおそばをゆでて食べる。
夜寝る前に自分の喪服を、念のためにスカートを履くと、ウェストが閉まらない、無理に引っ張れば入るが、それは危険だ、前カンが外れたり壊れたりする危険がある、黒のキュロットのペチコートなどを縫った後で日付が変わる頃なので、これ以上お直しなどしている時間は無い、眠いし、明日発つのが早い。
諦めて、喪服にも使える黒のプリーツのセットを用意した。スカートはウェストはゴムでレースとジョーゼットプリーツのリバーシブル。これで良い。
荷物をスーツケースなどに入れて、準備できた順に車に積んでいた、自分のこれが最後になった。
失敗は、シャンプーを持って行かなかった事、
実家に有ったものは、合わない、しかもリンスが無い、
娘がムースを持っていたから助かった。
娘はなんと26日から発疹が、帯状疱疹らしい、
27日新幹線からメールしてきた、小さい子が来るか、うつすと困るから離れて座るがと、
傷みと痒みで大変な様子、これだけは代わってあげる事も出来ない。
「今日先ほどLINEで連絡あり、病院に行ったら、帯状疱疹ではなく水疱瘡だそうです、むかしやったあれはなんだったのか?」
かなり前から、田舎には道路が激混みになるお盆やお正月には行かない我が家、
そのため弟たち全員と合う事があまりない、それで情報がまるで入ってこない、
聞こえないから、わざわざ知らせても来ない、
先週の父の見舞いの時に一番下の弟の長男が婚約したことを聞いた、
27日の夜その弟家族と深夜までいろいろ話した、知らないことが多すぎた私。
長男は眼科医の資格を持ってコンタクトレンズの会社勤務
私が乱視があるから、遠近両用のコンタクトが作れないと近くの病院で言われたと言ったら。
すぐに検査してくれた、道具を持ってきていました、
左は乱視が無いので素通しで老眼だけでOK、右に乱視があるが対処法があると言う、セットされたレンズで見ると、その対処法のレンズを入れないとにじんで見えるがそれを入れたら綺麗に見えた。
作れないと言うのは面倒と思うか判断する腕が無い医師と言う。
レーシックの話をしたら、やっぱり、危険だから絶対しないようにと言われた、
眼科医でレーシックしている人はいないと言うのは本当だった。
以前網膜剥離で通ったお茶の水の病院の事を聞いたら、そこは規模も技術も日本一、大丈夫とういう、
コンタクト作ってくれるとかなんとか、聞き取れていないから正確にわからない、老眼鏡と拡大鏡をいただきました。
葬儀はいろいろやることがある、朝7時から夕方まで予定がびっしり、何故か朝食の気配もない、
昨日のままテーブルの片隅に私が持って行ったパンとアプリコットジャムが乾かないようにビニール袋に入れたままあったが、誰も食べる事を忘れている様子。全員が朝食抜きでした、そんな決まり無いよね(笑)
お嫁さんの喪服袖が長すぎる、夕べのうちに分かっていたらお直ししてあげたのに、でも親指の付け根から3,5㎝ぐらい(手首からなら8CM以上)長いから、おかしい、始まる10分前に脱いでもらって、とりあえず裏に折り込んで止めて応急処置、お嫁さんは「三か所縫いとめればいい」と言って来たそれはいくらなんでも、まあまあきちんと縫って、後で自分で詰めてねと言ったら、できないそうだ、高校卒業からずーと縫製会社で仕事しているが、二番目の弟のお嫁さんと同じ会社でそのお嫁さんも、出来ないと言う、部分しか縫ったことが無いと袖丈つめもも出来ない、これが縫製業に携わる大半の人の現実です。
だから、いつも私のやることにいちいち驚いたり感動しているのか。
気が張り詰めていて、金曜日から頭痛があったが薬を飲みながら、
出来る範囲で動いて、いました。
どさくさで手が回らないだろうと考えて、地厚のしっかりした大量のタオルをデパートの大きい紙袋にいっぱい持って行った、洗面所に置いた、誰もが使えるようにと、使った物を入れるかごを置いてもらって、泊まった親族がお風呂に入る時に使ったらしく8割ほどが、かごに入っていた。
出棺前に、帰りの荷物を車に積んでいたら、お嫁さんが「タオルは?」と聞いてきたので、「持って帰らないから使ってください」と言った。
全部を済ませたら帰りが遅くなるので、娘も新幹線使ってもで4時間半かかる、次の日の仕事がある、
夫も仕事は5時に出るからのんびりしていられないので、告別式が終わり次第帰った。
帰る途中で夫の会社によって、香典返しを届けて、家に帰ったら郵便配達の不在通知、取りに行きました、日曜日で閉まっていたが(夜間の窓口も)裏に回ってみたら対応してくれ受け取って来れました。
3時過ぎに高速で食事してきて、お腹が空かない、夫は戴いて来たおこわを食べてビールを飲んだ。
疲れすぎて、NHKの手話を見ながら夫は眠ってしまい、
私もシャワーを浴びて7時半ごろには寝ました。
和服の喪服を持って行かなくてよかった、全員洋装だった。
時代と共に装いも変わるね。
お父さんが亡くなりましたとメールが来た。
すぐに知らせてくれたらしい。
この連絡は出先でうけました、
午後の予定はキャセルを伝えて帰宅。
出先から夫の携帯にメールするが、たぶん見ていないだろうと電話もかけると「こちらはドコモです、おかけになった電話は・・・」
電源入っていない、自宅に帰ると直前で電源を切る夫だから、
仕事終わって帰っている可能性もあるので、自宅に電話するが不在、
繰り返し両方にかけたが通じず。
肝心な時にこれです、夫らしいと言うか、、
帰る途中にある銀行によってお金をおろす。
自宅までの途中の家の友人を送り届けて帰宅して、
それから夫の勤める会社に電話する、
社長かその息子が社長夫人である夫の姉に電話を代わってくれた、
聞こえないから一方的に用件を言う、
携帯の電源が入っていないから連絡方法は?そちらから連絡取って
父が亡くなったことを伝えてほしい事、
明日の仕事は入っているかどうか
その後会社からFAXが来た、連絡してくれたこと、早めに帰れること、
明日は仕事ないから安心してくださいと、
同時に夫から「わかりました」と短いメールが来た。
義姉あてにお礼のfaxを入れました。
この日の仕事はある会社の引っ越しだったそうで、その会社に電話で夫に伝えてくれたそうです。
この事で会社側が事情を知ったので、夫は香典を預かってきました。
礼服など必要なものをそろえて、夫のワイシャツ昨年から今年にかけて全部入れ替えたので、白の織模様も無い無地が無い、全部に織模様が入っているので
ワイシャツを買いに行った、お通夜の分と次の日の分2枚を
アレルギーとかいろいろ問題のある私、そして葬儀の家は忙しすぎて、食事もままならない経験があるから、昨日焼いた1,5斤のレーズンブレッドの他に皆が食べる足しになるようにと、2斤サイズのパンを焼き始める。
あわただしい中、昼食を食べ忘れている事に気がつき午後3時過ぎにおそばをゆでて食べる。
夜寝る前に自分の喪服を、念のためにスカートを履くと、ウェストが閉まらない、無理に引っ張れば入るが、それは危険だ、前カンが外れたり壊れたりする危険がある、黒のキュロットのペチコートなどを縫った後で日付が変わる頃なので、これ以上お直しなどしている時間は無い、眠いし、明日発つのが早い。
諦めて、喪服にも使える黒のプリーツのセットを用意した。スカートはウェストはゴムでレースとジョーゼットプリーツのリバーシブル。これで良い。
荷物をスーツケースなどに入れて、準備できた順に車に積んでいた、自分のこれが最後になった。
失敗は、シャンプーを持って行かなかった事、
実家に有ったものは、合わない、しかもリンスが無い、
娘がムースを持っていたから助かった。
娘はなんと26日から発疹が、帯状疱疹らしい、
27日新幹線からメールしてきた、小さい子が来るか、うつすと困るから離れて座るがと、
傷みと痒みで大変な様子、これだけは代わってあげる事も出来ない。
「今日先ほどLINEで連絡あり、病院に行ったら、帯状疱疹ではなく水疱瘡だそうです、むかしやったあれはなんだったのか?」
かなり前から、田舎には道路が激混みになるお盆やお正月には行かない我が家、
そのため弟たち全員と合う事があまりない、それで情報がまるで入ってこない、
聞こえないから、わざわざ知らせても来ない、
先週の父の見舞いの時に一番下の弟の長男が婚約したことを聞いた、
27日の夜その弟家族と深夜までいろいろ話した、知らないことが多すぎた私。
長男は眼科医の資格を持ってコンタクトレンズの会社勤務
私が乱視があるから、遠近両用のコンタクトが作れないと近くの病院で言われたと言ったら。
すぐに検査してくれた、道具を持ってきていました、
左は乱視が無いので素通しで老眼だけでOK、右に乱視があるが対処法があると言う、セットされたレンズで見ると、その対処法のレンズを入れないとにじんで見えるがそれを入れたら綺麗に見えた。
作れないと言うのは面倒と思うか判断する腕が無い医師と言う。
レーシックの話をしたら、やっぱり、危険だから絶対しないようにと言われた、
眼科医でレーシックしている人はいないと言うのは本当だった。
以前網膜剥離で通ったお茶の水の病院の事を聞いたら、そこは規模も技術も日本一、大丈夫とういう、
コンタクト作ってくれるとかなんとか、聞き取れていないから正確にわからない、老眼鏡と拡大鏡をいただきました。
葬儀はいろいろやることがある、朝7時から夕方まで予定がびっしり、何故か朝食の気配もない、
昨日のままテーブルの片隅に私が持って行ったパンとアプリコットジャムが乾かないようにビニール袋に入れたままあったが、誰も食べる事を忘れている様子。全員が朝食抜きでした、そんな決まり無いよね(笑)
お嫁さんの喪服袖が長すぎる、夕べのうちに分かっていたらお直ししてあげたのに、でも親指の付け根から3,5㎝ぐらい(手首からなら8CM以上)長いから、おかしい、始まる10分前に脱いでもらって、とりあえず裏に折り込んで止めて応急処置、お嫁さんは「三か所縫いとめればいい」と言って来たそれはいくらなんでも、まあまあきちんと縫って、後で自分で詰めてねと言ったら、できないそうだ、高校卒業からずーと縫製会社で仕事しているが、二番目の弟のお嫁さんと同じ会社でそのお嫁さんも、出来ないと言う、部分しか縫ったことが無いと袖丈つめもも出来ない、これが縫製業に携わる大半の人の現実です。
だから、いつも私のやることにいちいち驚いたり感動しているのか。
気が張り詰めていて、金曜日から頭痛があったが薬を飲みながら、
出来る範囲で動いて、いました。
どさくさで手が回らないだろうと考えて、地厚のしっかりした大量のタオルをデパートの大きい紙袋にいっぱい持って行った、洗面所に置いた、誰もが使えるようにと、使った物を入れるかごを置いてもらって、泊まった親族がお風呂に入る時に使ったらしく8割ほどが、かごに入っていた。
出棺前に、帰りの荷物を車に積んでいたら、お嫁さんが「タオルは?」と聞いてきたので、「持って帰らないから使ってください」と言った。
全部を済ませたら帰りが遅くなるので、娘も新幹線使ってもで4時間半かかる、次の日の仕事がある、
夫も仕事は5時に出るからのんびりしていられないので、告別式が終わり次第帰った。
帰る途中で夫の会社によって、香典返しを届けて、家に帰ったら郵便配達の不在通知、取りに行きました、日曜日で閉まっていたが(夜間の窓口も)裏に回ってみたら対応してくれ受け取って来れました。
3時過ぎに高速で食事してきて、お腹が空かない、夫は戴いて来たおこわを食べてビールを飲んだ。
疲れすぎて、NHKの手話を見ながら夫は眠ってしまい、
私もシャワーを浴びて7時半ごろには寝ました。
和服の喪服を持って行かなくてよかった、全員洋装だった。
時代と共に装いも変わるね。