聞こえない世界
昨日の事
友人をN駅に迎えに行ってそのままA市に行く予定
家を出たのがN駅までかかる時間を計算して8時40分
走り出して10分ぐらいで補聴器の電池が切れた、
切れる前に警告音があってそれからしばらく大丈夫のはずが
警告音無かった、たぶんつけていないときに電源入ったままでその間にあったかも
アンプの最高に大きいものを使っているから、電池出力もそれに合わせたものです。
以前使用していたものより使用できる時間がかなり長い、
それは助かるのだが、出力関係なく値段が同じなので経済的。
いつも予備を持っているのだが、
予備を入れているケースがかなり古くて、電池残量がチェックできるものが付いていて
すごく便利、でも今の補聴器にこれが付属しない、別売りも無い。
補聴器店の人さえも、これでチェックするから無くせないと大切に使っている。
それがプラスチックの劣化で部分的に壊れて、修理するために特殊なものを取り寄せて
プラスチックの欠けた部分を作り足した。
その作業のためにいつも入れている免許証など入れているケースから出して
修理後も入れ忘れていた。
戻る時間はない、仕方ないのでそのまま行く、
N駅に来る人もA市で会う人も手話で話すから大丈夫、
全く音のない状態で家に帰る午後3時48分まで、
食事をするときに、オーダーの店員の質問が全く分からない
いつもなら、あいまいに聞こえて聞き返して、それでも大変なのだが。
昨日は全く聞こえないから、筆談もできない様子、一緒にいた人も聾者で
私に同じものでと注文を任せた状態、
「すみません、私は全く聞こえないのです」と言ったら、マスクを外して口元は
はっきり一言ずつ、
それでも言っていることは不明、
でも、もしかしてと「麺の量ですか、それなら小で」と言ったが
違うらしい、麺の量は最初に伝えていた、
湯気の出ている部分を指さしている、
暖かい物か冷たい物かを聞いているのかなと
「暖かい方で」と言うと、にっこりと、OKと手で表した。
良かった、
他は、その席の近くにA市の人の知り合いがいて近づいてきた、
健聴者だった、話しかけられても言葉が3人ともわからず、
「とりあえず、ごめんなさい、3人とも聞こえないです」と言った。
A市の人が手話を教えているグループに来る人だそうだ。
だから、聞こえないのを知っていて来たので、わかってくれた。
聞こえる人たちの世界の中で、聞こえないと言うのはやっぱりハンデです。
それでも、同じ人間、いつ誰が聞こえなくなる日が来るか、誰も絶対大丈夫と言い切れない。
昔と比べると、手話も、公に言語として認められて、手話を学ぶ人も増えたから
偏見は減ってきたが、まだまだ壁は薄くなったが残っている。
聞こえる人は、色々な言語を選択して話す自由があるが。
聞こえない人には手話の中でしかない、国によって手話も違うと言う事さえ
まだ理解されていないのが現状です。
手話が世界共通と思っている人のなんと多いことか、、
違うと言う事で、例えば、日本手話の「ありがとう」と言う表現は
勝った関取が賞金をもらって手刀をきるしぐさから生まれた手話。
これを知ったら、他の国では違う表現というのがわかると思います。
そして国内でも、違いがある、方言があるのです。
今はテレビなどの普及でその違いも全国の人がわかるようになりましたが、
ばらばらに必要に応じて作られた手話が沢山あります。
手話が違うことで、出身地はどこですかと聞かれることもあります。
会って間もない人に「学校どこ」と言うのも多い。
その場合は聾学校の意味なので、私の場合は
「聾じゃなく、難聴で、大人になってから聞こえなくなったので聾学校ではない」と言います。
その後で出身地、生まれた場所を伝えます。
聾学校の場合は、同じ学校なら、先輩、後輩の絆があるので会話がはずみます。
以前、炎症がひどくて数か月完治するまで補聴器使用できないときがありましたが、
その間にどんどん聴力が落ちてしまいました。
あっという間に障碍者認定されない聴力が、障碍者等級が上の聴力になり
補聴器も最高出力の物に替えることになり現在ますます劣化中です。
現在の医学では治療できないものなので、仕方ないです。
過去に中国人の整体師が「絶対直せます」と言って治療してくれたが
無駄でした。
治療費すごく高かったです、どぶに捨てた感じで終わりました。
信頼できる人の紹介だったが、、
人工内耳も検討したが私の場合は悪い部分がそれでは補えないのがわかり
あきらめました。
希望を捨てていませんが、全く違う希望を持っているので落ち込みません、
友人をN駅に迎えに行ってそのままA市に行く予定
家を出たのがN駅までかかる時間を計算して8時40分
走り出して10分ぐらいで補聴器の電池が切れた、
切れる前に警告音があってそれからしばらく大丈夫のはずが
警告音無かった、たぶんつけていないときに電源入ったままでその間にあったかも
アンプの最高に大きいものを使っているから、電池出力もそれに合わせたものです。
以前使用していたものより使用できる時間がかなり長い、
それは助かるのだが、出力関係なく値段が同じなので経済的。
いつも予備を持っているのだが、
予備を入れているケースがかなり古くて、電池残量がチェックできるものが付いていて
すごく便利、でも今の補聴器にこれが付属しない、別売りも無い。
補聴器店の人さえも、これでチェックするから無くせないと大切に使っている。
それがプラスチックの劣化で部分的に壊れて、修理するために特殊なものを取り寄せて
プラスチックの欠けた部分を作り足した。
その作業のためにいつも入れている免許証など入れているケースから出して
修理後も入れ忘れていた。
戻る時間はない、仕方ないのでそのまま行く、
N駅に来る人もA市で会う人も手話で話すから大丈夫、
全く音のない状態で家に帰る午後3時48分まで、
食事をするときに、オーダーの店員の質問が全く分からない
いつもなら、あいまいに聞こえて聞き返して、それでも大変なのだが。
昨日は全く聞こえないから、筆談もできない様子、一緒にいた人も聾者で
私に同じものでと注文を任せた状態、
「すみません、私は全く聞こえないのです」と言ったら、マスクを外して口元は
はっきり一言ずつ、
それでも言っていることは不明、
でも、もしかしてと「麺の量ですか、それなら小で」と言ったが
違うらしい、麺の量は最初に伝えていた、
湯気の出ている部分を指さしている、
暖かい物か冷たい物かを聞いているのかなと
「暖かい方で」と言うと、にっこりと、OKと手で表した。
良かった、
他は、その席の近くにA市の人の知り合いがいて近づいてきた、
健聴者だった、話しかけられても言葉が3人ともわからず、
「とりあえず、ごめんなさい、3人とも聞こえないです」と言った。
A市の人が手話を教えているグループに来る人だそうだ。
だから、聞こえないのを知っていて来たので、わかってくれた。
聞こえる人たちの世界の中で、聞こえないと言うのはやっぱりハンデです。
それでも、同じ人間、いつ誰が聞こえなくなる日が来るか、誰も絶対大丈夫と言い切れない。
昔と比べると、手話も、公に言語として認められて、手話を学ぶ人も増えたから
偏見は減ってきたが、まだまだ壁は薄くなったが残っている。
聞こえる人は、色々な言語を選択して話す自由があるが。
聞こえない人には手話の中でしかない、国によって手話も違うと言う事さえ
まだ理解されていないのが現状です。
手話が世界共通と思っている人のなんと多いことか、、
違うと言う事で、例えば、日本手話の「ありがとう」と言う表現は
勝った関取が賞金をもらって手刀をきるしぐさから生まれた手話。
これを知ったら、他の国では違う表現というのがわかると思います。
そして国内でも、違いがある、方言があるのです。
今はテレビなどの普及でその違いも全国の人がわかるようになりましたが、
ばらばらに必要に応じて作られた手話が沢山あります。
手話が違うことで、出身地はどこですかと聞かれることもあります。
会って間もない人に「学校どこ」と言うのも多い。
その場合は聾学校の意味なので、私の場合は
「聾じゃなく、難聴で、大人になってから聞こえなくなったので聾学校ではない」と言います。
その後で出身地、生まれた場所を伝えます。
聾学校の場合は、同じ学校なら、先輩、後輩の絆があるので会話がはずみます。
以前、炎症がひどくて数か月完治するまで補聴器使用できないときがありましたが、
その間にどんどん聴力が落ちてしまいました。
あっという間に障碍者認定されない聴力が、障碍者等級が上の聴力になり
補聴器も最高出力の物に替えることになり現在ますます劣化中です。
現在の医学では治療できないものなので、仕方ないです。
過去に中国人の整体師が「絶対直せます」と言って治療してくれたが
無駄でした。
治療費すごく高かったです、どぶに捨てた感じで終わりました。
信頼できる人の紹介だったが、、
人工内耳も検討したが私の場合は悪い部分がそれでは補えないのがわかり
あきらめました。
希望を捨てていませんが、全く違う希望を持っているので落ち込みません、